補習校通学で日英高度バイリンガルに【子どもの視点】

どんな子育てもそうですが、バイリンガル子育ても千差万別、唯一の正しい道などありません。

バイリンガル教育の権威として知られる中島和子先生が企画され、カナダの日本語コミュニティ誌「月刊ふれいざー」に掲載されていた「バイリンガル子育て」シリーズには、とても貴重なインタビューや経験談がまとめられています。

許可を得て、これは!と思う記事を紹介していきたいと思います。

「完璧」なバイリンガル?

今回紹介する吉原さんは、カナダの多文化都市、トロントで生まれ、高校卒業まで補習校に通って日英に不自由ないバイリンガルに成長されたそうです。

2019年現在、大学生で英語で学んでいるため、「日本語能力の低下」を感じるとも書かれていますが、日常的に日本語と英語を使う環境が身近にあり、両方のコミュニティに貢献しているというとは、十分「完璧」なバイリンガルなのではないでしょうか。

そもそも「完璧」なバイリンガル、いえ、モノリンガルだっているでしょうか。
私自身、主に米国でのバイリンガル子育てが一段落してからニュース翻訳の仕事を開始したときには、知らない間に自分の「日本語能力が劣化」していたことに気づきました。

そんなことも考えるきっかけになる記事だと思います。

以下は「月刊ふれいざー」2019年5月号トロント版からの再掲記事です。

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言語によって広がる世界

私は毎日、トロントで英語と日本語を話し生活しています。日本人の両親のもと、カナダで生まれ育ちました。幼い頃からカナダと日本の両方の文化に触れ、それを当たり前のこととして育ってきました。平日はカナダの学校に通い、土曜日は日本語を学ぶためトロント補習授業校に通い続けました。その結果として、私は両言語を自由に使えるようになりました。

私は自分がバイリンガルであることを大切な個性だと思うと同時に、自分の強みだと感じています。しかし、それ以上に、私が得たものはかけがえのない広い世界だと感じています。バイリンガルであるということは、より多くの人と繋がることができる特別な力を持っているという気がするのです。

バイリンガルであることのメリット

バイリンガルであることには様々なメリットが存在します。まず、日本とカナダの両方の文化に接し、理解できることがその一つです。

異なる二つの国の文化を通して、私はたくさんのことを学び、物事を様々な視点から見られるようになりました。それぞれの国を客観的な目線で見ることができ、冷静に2つの文化の比較をし、それぞれの特長をそれぞれの言語で整理して把握しているつもりです。これは、バイリンガルだからこそできることなのではないでしょうか。

国同士の違いを見出し、それぞれの国の良さに気付くことができました。特にカナダは様々な国の人達が住んでいるため、より多くの文化と触れ合うことができ、それぞれの文化の良さに日々気付かされます。

大学に進学してからは、自分が日本人であることをより誇りに思うようになりました。そして日本ではなく、カナダで生まれたことをとても良かったと思っています。 言葉を使いこなせるということは、その国特有の文化、ユーモアや物事の考え方も理解できます。

そのため、カナダ人の友達と過ごしていても、日本人の友達と過ごしていても、周りの人達と距離を感じることなく楽しくコミュニケーションを取ることができています。英語ができるので、もちろんカナダ人の友達は多く、大学の授業の後も一緒に勉強します。

また、日本語の読み書きにも不自由がない私は、補習校のクラスメートや、日系コミュニティを通して出会った日本人とは、LINEで連絡を取り合い集まります。両言語を使えることで私はより多くの人と触れ合うことができました。

特に日本人との交流は私にとってとても貴重だと感じています。カナダだけではない、もう一つの世界を持っているという感じです。幼い頃は、日本に行っても従兄妹の他に遊べる友達があまりいませんでした。

しかし、日本語を今まで学び保ち続けたことでカナダでも留学生やワーキングホリデーの人達と交流ができ、日本でも会える友達が増えました。バイリンガルであるということは、人との交流が増えることであり、人と繋がり人生がさらに楽しくなることだと、最近気付くようになりました。

また、日本語と英語が使えることで、仕事やボランティアなど色々なことを経験する機会も増えました。日系文化会館などで行われる様々なお祭りやイベント、日系のサッカークラブの活動などです。

日系コミュニティーでは日本語を話す人ばかりではなく、英語しか話さない人もいます。誰とでも話すことができて一緒に働けるバイリンガルを求めるボランティア先はトロントに複数あります。私はそのような活動に参加し、自分の力を活かしています。バイリンガルの私は、英語のみを話す人と日本語のみを話す人の中継役になることができるのです。

さらに、今年の 3 月には団体ツアーの通訳として日本に行く機会もありました。42 人のカナダ人と日本へ行き、それぞれの観光地での通訳や現地のスタッフとのコミュニケーション役などを担当しました。

私はこの仕事を通して、通訳の難しさに気付きましたが、それ以上にバイリンガルがどれほど必要とされているかに気付かされました。そして、これからも自分がバイリンガルであり続けるために、英語と日本語を保ち続けたいと強く思いました。

両言語をどう保持するかが課題

しかし、二つの言語を使えるようになることは簡単なことではありません。そしてそれ以上に、両言語をずっと保ち続けることはとても難しいことです。

先ほど述べたとおり、私はカナダで育ち、現地校で英語を学びカナダの大学へ進学し、補習校で幼稚園から高校を卒業するまで日本語を学びました。両言語を学び続けてきましたが、それでも両言語とも完璧とはとても言い切れません。

補習校を卒業してからは自分の日本語能力の低下に気付き始めています。これは、大学での専門的な理系の勉強に多くの時間を費やし、日本語は話すだけで、日本語を使って学習する機会が少なくなってきたからです。

つまり、どんなにうまく二つの言語を使えるようになっても、常にその言語で考え、使い続けていない限り忘れていってしまうということです。なので、バイリンガルであり続けるためには、両言語を学び続けなければいけません。

現地校と補習校、二つの学校に 13 年も通い続けることは決して楽ではありません。しかし、そうして日本語による学習を続けなければ、両言語を身に付け使いこなせるようになることは難しいでしょう。

長期にわたる学習を成し遂げる原動力は、その価値を自分自身が明確に見出しているかどうかです。どんなに大変なこともそれを続ける意味を見つければ乗り越えることができると思います。

私は、中学3年生の時、ここまで頑張ったのだから最後まで学び続けようと高校進学を決意しました。何事も継続は力なりです。言語の習得もまさにそうだと自分の日本語学習を振り返り、つくづくそう感じます。

二か国語を使いこなせるということは、それだけ多くの人に出会うことができ、経験できることが 増え、人間としての成長につながるのではないでしょうか。

私は、たくさんの人と交流し、色々なことを経験してきました。二つの言語から広い世界を持つことができたように思います。私は自分がバイリンガルであることに誇りを持ち、これからも努力を続けて、バイリンガルであり続けたいと思っています。

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