バイリンガルの脳の特徴(2)

本記事はこちらの続きです。

Mosaicに掲載された科学ライター、ガイア・ヴィンス()氏のバイリンガルの脳に関する最近の研究をまとめた記事を数回に分けて、紹介ています。

言語の進化とマルチリンガル

人類が最初に言葉を発したのは、25万年前にさかのぼるともいわれる。われわれの祖先が2本の足で直立すると、胸郭を圧迫していた重みが取れ、呼吸や声の高低の微調整に必要な神経の発達が可能となった。人間が1つの言語を使い始めてから多言語に分かれるまで、それほど長くはかからなかったと考えられる。

言語の進化は、生物学上の進化と比較することができる。ただ、遺伝子の変化は環境面の圧力によってもたらされる一方、言語は社会的圧力によって変化と発展を遂げる。人類初期の諸集団は、時を経て数々の言葉を話すようになっていった。そして、取引や旅などで他の集団と意思を疎通するため、各家族や集団の中の一部の人々が他の言語を話すことを求められた。

現在も狩猟・採集生活を続けている人々を見れば、多言語環境がどれほど一般的だったのかを感覚的に理解することが可能だ。エディンバラ大学で言語科学研究に携わる認知神経学者のトーマス・バック(Thomas Bak)氏は、「現代の狩猟採集民族は、ほぼ全員がマルチリンガルだ」と指摘する。「同じ部族や氏族の人と結婚して、子どもを持つことはできないという決まり、つまりタブーがある。だからどんな子どもの母親と父親でも全員、それぞれ別の言葉を話す」のだ。

オーストラリアの先住民の間では、現在も実に130以上の言語が話されており、多言語使用(マルチリンガリズム)は生活環境の一部といえる。バック氏は「誰かと話しながら歩いていて、一本の小川を超えたとする。すると突然、その人が別の言語に切り替える」ことがあると述べ、「人々は土地の言語を話すものだ」と説明する。

他の場所でも同じような例が見られる。「ベルギーで、リエージュから電車に乗るとしよう。車内案内は最初、フランス語で流れる。ルーヴェンを通過すると今度はオランダ語が最初になる。ブリュッセルに着いたら、またフランス語に戻る」

バイリンガルに対する偏見

言語はアイデンティティと深く関わっており、政治とも強く結びついている。欧州で国民国家が出現し、19世紀に帝国主義が発展したことで、国家が定めた1つの公用語以外の言語を話すことは、国家に対する忠誠心に欠けることを意味するようになった。このような背景があったことで、特に英国や米国で、子どもをバイリンガルに育てることは健康上、また社会的にも有害だとの見識が広く一般に受け入れられていたともいえるだろう。

このころからバイリンガルの子どもは、2言語によって混乱し、知能や自尊心が低くなる、さらには性格が分裂したり、統合失調症になるとまで言われてきた。この見解はごく最近まで残っていたため、子どもに母語で話し掛けないように努める移民も多かった。

1962年に行われたある実験の知能テストの結果には、言語・非言語のどちらの部でも、バイリンガル(2言語話者)の子どもの方がモノリンガル(1言語話者)の子どもよりも点数がよかったことが示されたていた。それにもかかわらず、上のような見解が一般的だった。そしてこの実験結果は、その後数十年間にわたって無視され続けた。

だが過去10年間にわたって、脳の画像撮影技術を使用した研究成果を神経学者、心理学者、そして言語学者らが次々と発表し、バイリンガルには認知面において有益な点が数多くあることが明らかになった。

バイリンガル・マルチリンガルの人格や思考の枠組み

英語で好きな食べ物を聞かれると、ロンドンで好きなものの中から選ぶ自分を想像する。でもフランス語で聞かれると、パリに移動し、選択肢も変わってくる。だから、かなり個人的な質問をされても、質問される言語によって答えは変わる。話す言葉ごとに新たな人格が備わる、つまり異なる言語を話せば、行動もそれに伴って変化する、という考え方には深い意味がある。

アタナソポウロス氏の研究チームは、人々の視点に変化をもたらす言語の力について、研究を続けている。ある実験では、英語・ドイツ語の各話者に、人々が動作を行っている様子を捉えた動画を視聴させる。例えば女性が自分の車に向かって歩いているところだったり、男性が自転車に乗ってスーパーマーケットに向かっているところなどという動画が使用される。

英語話者は動作に注目し、(英語で)「女性が歩いている」とか、「男性が自転車に乗っている」などと表現することが多い。一方ドイツ語話者は、もっと全体的に捉える世界観を持っているようで、動作の目的まで含める。例えば(ドイツ語で)「女性が車に向かって歩いている」とか「男性がスーパーマーケットに向かって自転車をこいでいる」といった具合だ。

アタナソポウロス氏はこの違いについて、ある程度は使用する言語の文法の法則によって説明可能だとしている。ドイツ語と異なり、英語には現在行っている動作の表現として現在進行形(~ing)がある。このため、ややあいまいなところが含まれる場面を英語話者が描写する際、動作に目的を添える可能性はドイツ語話者よりもずっと低くなる。

ところが、英独バイリンガルが動作と目的のどちらを重視するかは、実験が実施された国によって変化した。英独バイリンガルがドイツで実験に参加すると、目的を重視し、英国では動作に焦点が置かれた。実験で使用する言語が英独どちらでも、結果は同じだった。これにより、世界観というものが定められる上で、文化と言語がいかに密接に結びついているかが明らかにされた。

心理言語学の先駆的研究を行ったことで知られるスーザン・アービントリップ(Susan Ervin-Tripp)氏は、1960年代、日英バイリンガルの女性を対象とした実験を行い、それぞれの言語で文章を完成させるように指示した。その結果、どちらの言語を使うかにより、文末がかなり異なることが明らかとなった。

例えば、「自分の願望が家族と対立するとき…」で始まる文章は、日本語だと「とても不幸せな時期だった」という文末で結ばれた。これが英語だと、「自分がやりたいことをする」となった。「本当の友達は…」という文章では、日本語では「互いに助け合うべき」、英語だと「率直であるべき」という文末になった。

アービントリップ氏はこの研究で、人間の思考は言語によって規定される枠組み内で生じ、バイリンガルは言語ごとに異なる思考の枠組みを持っていると結論付けた。これはとっぴな考えのように思われたものの、この結論は後続の研究でも実証されている。また、話す言語が変わると別人になる感じがするというバイリンガルも多い。

人工言語であるSyntaflakeを理解しようとすることで、脳がどのような影響を受けるかをみるため、私は課題の前後に別のテストも受けていた。これは「フランカー課題」と呼ばれるテストで、画面上に複数の矢印が現れる。中央の矢印の方向に倣って左、あるいは右のボタンを押すことが求められるというものだ。

時折、周りに混乱を招くような矢印が現れるので、最初のテストの時には肩が耳の辺りに届くような、変な姿勢になってしまうほど集中しなければならず、とても疲れた。これは練習を積むと上達するといったたぐいの課題ではない(実際、大半の人は2度目の結果の方が悪くなる)。だが私が雪片の課題を終えた後に再び挑戦すると、結果は大幅に向上していた。そしてこの結果は、アタナソポウロス氏の予想通りだった。

アタナソポウロス氏は、「新しい言語を学んだことで、2度目の結果が改善した」のだと説明する。異常なしといえる結果で安心したものの、この説明は興味深い。どうして改善されるのだろうか?

(以下に続く)

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です