どんな子育てもそうですが、バイリンガル子育ても千差万別、唯一の正しい道などありません。
バイリンガル教育の権威でおありになる中島和子先生が企画され、カナダの日本語コミュニティ誌「月刊ふれいざー」に掲載されていた「バイリンガル子育て」シリーズには、とても貴重なインタビューや経験談がまとめられています。
許可を得て、これは!と思う記事を紹介していきたいと思います。
目次
日中英トライリンガルの少し複雑な言語発達の背景
日本で中国人の両親のもとに生まれ、中国語で両親に話しかけられて育ったものの、日本語しか話さなかったという李さん。
その理由は、「中国人としてのアイデンティティや誇りを持てなかったから」と自己分析されています。
以下の記事では、そんな彼女が小学校5年生でカナダに移住し、英語に苦労しながらも8年間、補習校に通い、日本語と英語のバイリンガルとして、また中国人としてのアイデンティティも肯定するようになる経緯を垣間見ることができます。
小学校5年生まで、ほぼモノリンガルでも、高度バイリンガルに成長するという見本的な例ともいえます。
以下は「月刊ふれいざー」2019年6月号トロント版からの再掲記事です。
私の経験
私は、日本で中国人の両親のもとに生まれ、10歳まで東京に住んでいました。地元の保育園と小学校に通い、日本人に囲まれた環境で育った私は、日本を母国と認識し、ごく普通の「外国人の親をもつ日本人」として過ごしました。
小学五年生の時に家族とカナダに移住し、補習校に通うことで日本語を維持してきました。カナダに来たばかりの時は一言も話せなかった英語も上達し、今ではほぼ母国語並みに理解し話すことができるようになっています。
そんな私は、自分はバイリンガルだ、と確実に言えます。しかし、私の場合、中国にルーツがあるので、バイリンガルであるだけでは不十分です。実際、私の生い立ちを聞いたほとんどの人は、「トライリンガルですごいね」と言います。
トライリンガルに程遠い(英語と日本語と中国語4分の一くらい)私は、毎回、居心地が悪くなり、特に接点があまりない人には大抵苦笑いで返してしまいます。
(余談ですが、たまにカナダ人はフランス語もペラペラだと思っている人がいて4ヶ国語できるクワドリンガルだと思われますが、その時は本当に何も言えません。)
バイリンガルの失敗作?
日本に住む中国人として日本語と中国語のバイリンガルになれる環境に生まれ育ったにもかかわらず、私は、中国語を上手く身に付けらませんでした。
その要因は、私が中国人としてのアイデンティティや誇りを持てなかったことだと思っています。 特に幼少期は両親が仕事で忙しく、家以外では中国語を話す機会も少なかったことから、自然と自分は日本人だと思うようになりました。
日本の学校教育では、皆が同じであることが強調されていたので、私が人一倍「違い」に敏感になってしまったところもあります。
両親が中国語で話しかけてくれているにも関わらず、自分の中国人としてのルーツに反感を持っていた私は、常に日本語で返答していました。
それが習慣となってしまい、いまもほとんど親とは中国語で話しません。中国語に対して苦手意識ができてしまい、中国人としての誇りも持てなかった私は、中国語教室に通っても、自分の中国語が周りに比べて劣っていると感じて挫折。
ごく一般の日本人として過ごしていきたいという思いが勝り、違和感なども見て見ぬふりをしていました。
カナダに来て
そんな私は、カナダの多文化社会に助けられました。
トロントのフィンチに引っ越して来た当初は英語ができなかった私ですが、中国語を理解できたので、日本人だけではなく中国人とも交流ができました。
更に、様々な出身地や生い立ちを持つ人に囲まれ、自分の境遇はそんなに特別ではないと思うことができました。
皮肉なことですが、 当時はみんなと同じであることを認識でき、ほっとしました。
その後郊外に引っ越した私は、中国系やインド系カナダ人、アジア人の区別が得意ではない白人など、たくさんの人と出会いました。 自分のあるいは親のルーツを大切にする人たちに囲まれる中、私も自分の中国人としてのルーツを前向きに受け入れ始めることができました。
しかし、幼少期に一度持ってしまった認識はそう簡単に覆せません。頭ではわかっているのに、とっさに自分のルーツを否定してしまったり、嫌悪感や罪悪感を抱いてしまうことは少なからずあります。
これは少しずつ人として成長するしかないと私は考えています。とりあえず今は、中国人のルーツや、 留学生とも言語は英語ですが、中国人同士として出身地である日本、住み慣れたカナダ、そのことに複雑な心境を抱いてしまっていることも含めて、 それぞれが現在の自分を作り上げた個性の一部であり、未来の自分を作る可能性であると前向きに思うことにしています。
バイリンガル・トライリンガルになるには
人には個性があり、向き不向きがあり、価値観があります。私の経験がすべての(むしろほとんどの)子どもに当てはまらないと思うし、それは良い面も悪い面もあるかもしれません。
数は少ないですが、私のように日本・祖国・英語圏の国に関わりを持つ人に何人か会ったことがあります。上手く 3 か国語が話せ、3カ国の文化や習慣にバラン
スよく関わる人もいれば、祖国よりも日本人であることを重要視した人もいます。どれが良くて悪いのかは周りがどうこう言うことではないと私は思います。
大切なのは、自分の価値観と変えられない事実をいかに上手く組み合わせ、自信が持てるアイデンティティを持つことだと思います。
4分の1こっちの国、4分の3はこっちの国、と数学的に振り分けても良いし、文化的にはこっちの国だけど言語的にはこっちの国、と分野ごとに分けても良い。自分は○○系○○人と、2つのコミュニティの中間的な一員と名乗るのも良い。それができることによって、意欲的に言語を伸ばそうとしたり、文化に関心を持てるようになったり、自分と似ているが少し違う境遇にいる人たちと真に接することができるようになったりできると思います。
いまの私、これからの私
グローバル化が進むいまは、私にとってとても住みやすい社会です。多様なバックグラウンドを持のある一員になれつつあると思うし、中国からの留学生とも交流ができていると思います。現在は日本で中小企業のインターンをしていますが、自由度が高い職場で、窮屈に思うこともありません。まだ自分のアイデンティティに百パーセント自信を持てているわけではないのですが、そこは、日々精進です。
(再掲終わり)
グローバル時代のアイデンティティ
日本で中国のルーツを否定しながら過ごしたにもかかわらず、カナダに移住しても日本語を維持し、英語も習得していくというのは、並大抵の努力ではないと思います。
また李さん自身は、中国語と日本語のバイリンガルには成長しなかった原因として、中国のルーツに誇りを持てなかったことを挙げていますが、それだけが原因ではないかもしれません。
日本語も堪能だったらしいご両親は、李さんが生まれる前から、日本語で仕事をしたりすることも多かったでしょう。
李さんが生まれた後も忙しかったり、近くに中国人の同じぐらいの子どもがいなかったかもしれず、意識して中国人コミュニティと関わることはできなかったかもしれません。
いずれにしても「グローバル化が進むいま」は、自分のようなグローバルな個人が住みやすい時代だと、前向きに未来をみつめる様子がとても印象に残ります。
彼女のような、以前だったら「どこにも属さない」と否定的に捉えられていたかもしれないアイデンティティが、より一般的になり、強みとなる時代に来ているといえるかもしれません。
久しぶりに多文化都市トロントの、チャイナタウンが思い出されました。