子育て中のみなさま、お疲れ様です。
下でも書いたように、バイリンガル子育てについてはまだまだ誤解が多い気がします。
子供は一人一人違いますし、家族の住む環境や地域の状況も異なります。
海外でのバイリンガル子育ての基本は、下のパンフレットにまとめてあります。
Amazon.comのKindle読み放題で無料で読めますので是非ご参照ください。
基本を押さえても、誤解が多い中、「バイリンガル子育てで失敗したくない」「どちらも中途半端になったらどうしよう」という不安もあるかもしれません。
そこで、自分の子育て全般には大いに反省点があるものの、バイリンガル子育てについては良かったと思えているもん吉が、改めて「コツ」についてまとめました。
バイリンガル子育ての基本については、上のパンフレットだけでなく、下の記事を初め、当サイトでもいろいろと書いています。「バイリンガル子育て」などで検索してみてください。
本記事の「コツ」は、特に「セミリンガル」あるいは「ダブルリミテッド」に関するものとなります。
「セミリンガル」「ダブルリミテッド」をよく理解する
前にも書きましたが、どんな子育てにも失敗はないと思いますし、親の責任とか義務も、普通思っている影響力の半分ぐらいじゃないかと思っています。
でも「バイリンガル子育ての失敗」というと、「セミリンガル」あるいは「ダブルリミテッド」と呼ばれる、どちらの言語の発達も中途半端、という状態を指すことが多いようです。
では「セミリンガル」で「どちらの言語も中途半端」とは、もう少し正確にいうとどのような状態なのでしょうか。
一番最初に思い浮かぶのは、どちらの言語で話しかけても反応せず、発語も遅れたり、意味不明だったりする、就学前の幼児の姿でしょうか。
でも、幼少時の言語の発達の問題は、バイリンガルに限ったことではありません。
言語の発達はとても重要な問題です。
アメリカでは、ファミリードクターが子どもの検診時に、発達段階の全項目をチェックします。
最近では、バイリンガルの言語発達についても基本を理解している小児科医がほとんどだと思いますので、母語の発達で問題があれば、相談することをおすすめします。
もし、少しでも変だなと思うことがあれば、他の信頼できる専門家や、医者のセカンドオピニオンをとることも大事です。
では、幼児期は大丈夫でも、その後「セミリンガル」の心配はあるのでしょうか。
学齢期になってからの「セミリンガル」というのは、言葉の流暢さやアクセント、あるいは語彙の多少というよりも、「認知」、つまり物事を理解したり、論理的に考えたりという知的活動が、どちらの言語でも学齢水準に達していない状態を指すのではないでしょうか。
セミリンガル(ダブルリミテッド)については、恩師の一人でもあるジム・カミンズ博士が分かりやすい説明をしています。
「敷居」理論ともいわれるもので分かりにくいなと思われるかもしれませんが、彼の説明図を少し分かりやすくした図が、これ↓です。
カミンズ先生は、この敷居で一番下に該当する、どちらの言語でも認知力が学齢水準に達していない状態を「セミリンガル」「ダブルリミテッド」と定義しています。
人間の脳は長い期間をかけて発達していきますので、バイリンガルも途中でどちらかの言語が強くなることはごく普通です。
認知面に問題がない場合は、それは心配し過ぎなくて良い状態です。
どちらも常に、高度なバイリンガルを目指したいと思う人もいるかもしれませんが、それはおそらく、とても難しいのではないかと思います。
もちろん、いろいろな条件が揃えば、十分可能ですが、それが「当たり前」ではないのです。
それでも、どちらかの言語を主軸にし、両方の言語が伸びていくように環境を整えることができるならば、一番下の「セミリンガル」「ダブルリミテッド」を避けることは十分可能ではないでしょうか。
バイリンガル子育てに興味はあるけれど、「セミリンガル」が不安という方は、どのような「セミリンガル」の事例があるのか、もう少し自分の思い込みから抜け出して、少し調べてみるのもいいかもしれません。
「成功」のイメージにとらわれすぎない
2つ目のコツは、バイリンガルの成功例から学ぶ姿勢を持ち、似た意識を持つ仲間を見つけるということです。
自分の周囲にはあまり成功例がみつからないこともあるかもしれません。
でも、最近はオンラインのセミナーも気軽に利用できるようになりました。
私はまだ不勉強なのですが、YouTubeでも参考になる情報があるかもしれません。
バイリンガルで日本で、アメリカで、社会に貢献している人もかなり増えていると思います。
このサイトでも、バイリンガルに育った家庭や、本人のお話、他のサイトで紹介された記事などを掲載しています。
基本を押さえたうえで、成功例を見ていくと、動機につながったり、もっとバイリンガルについても勉強する気になったりすると思います。
そのような姿勢があれば、その家族なりの「成功」を見つけることにつながっていくのではないでしょうか。
そして、そのような例を探しているうちに、必ず仲間に出会えます。
「大変過ぎる」とか、「無駄」とかいう人もいると思います。
他に優先することがある家庭もあるでしょう。
それならそれで素晴らしいことだと思います。
私の友人にも、子供の幼少期には日本語で話しかけていたけれど、自分のキャリアもあり、日本語が思ったように育たなかったという方もいます。
でも日本語を育てようとした期間も無駄ではなかったはず。
あちこちのインターナショナルスクールなどを経て、その後高校や大学で、自ら日本語を学んでいたそうです。
今後も、必要があればきっと日本語を使ってコミュニケーションをしていけるのではないかと思います。
今では自分の夢に向かって進んでいる、立派な大学院生。
失敗とか、ヘタレ例ではないと思います。
「完ぺき」を目指さない
日本人はバイリンガルに対し、「完ぺき」という形容詞をつけたがることも多いですが、そもそもモノリンガル(バイリンガルではない、1言語だけを話す人)だってその言語を「完ぺき」に操れるものなのでしょうか。
以前にも触れましたが、私には英文のニュース記事の翻訳者として働いていた時期があります。
アメリカでかなりどっぷり、子育てをしてきた時期の後だったので、日本語の新聞記事の文章に慣れるのに最初は苦労しました。
もともと、日本で中学生だったころ以降は、毎朝必ず新聞を読んでいたような新聞好きでしたが、よく考えると、そのころも自分の興味のある記事しか読まず、内容も大してわかっていなかったと思います。
翻訳という仕事の中で、法律や経済、医療などの専門用語だけでなく、社会全般で使われている言葉について、自分はいい大人でありながら、無知だと思い知らされたものです。
みなさんは、控訴と上訴の違い、すぐに説明できますか。あるいは分かりますか?
冠水と浸水の違いは?
犯人と断言できるのはどんな時?
それは専門用語だから、とか、日常的には使わない言葉だから、という意見もあるかもしれませんが、言葉というのは書いてみよう、伝えようと思うととてもていねいに扱わないと、とんだ誤解を招くものです。
どんな言語でもそれは変わりません。
だから誰でも辞書を使うのです。最近ではグーグルかもしれませんが、グーグルはまだまだかなり間違えます。
「完ぺき」という言葉はそもそも一体、何を表しているのでしょう。
もし実体のない、空虚な概念のようなものなのであれば、それにとらわれないようにする、そのような心構えができる、あるいはできる環境にあると、バイリンガル子育てにも楽しい瞬間が生まれやすくなると思います。
「大変でない」とは言いません。
子育てするだけで大変ですし、知識や環境、色々なものが必ず必要です。
でも色々な条件が揃えば、十分、可能だと思います。