「Black Lives Matter」と「構造的人種差別」が意味すること

「Black Lives Matter」は「黒人の命は大切」という意味なのか?

米ミネソタ州で2020年5月、黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人警官に拘束された際に抑え込まれ、その後死亡したことをきっかけに、「Black Lives Matter(BLM)」運動が全米、さらに世界に広がりました。

BLMは「黒人の命は大切」と訳されることが多いですが、それだけでは当然、暴力的な米国の差別の歴史がまったく伝わりません。

少しでも過去の歴史を学んだら、BLMが訴えているのが、ただ「黒人の命が大切」ということではなく、「現在まで続く米国内外の社会・文化構造は黒人の命の軽視の上に成り立っている」という認識をもっと広め、それを変えていこう、ということだという見方があることもわかるのではと思います。

その認識が抜けていると、「いや白人の命だって大事」などというやや的外れの議論になってしまうのです。歴史的に、そして社会的に、白人は有色人種を虐げてきて、それが「当たり前」のことだった。その影響が今も残っている。BLMが今回改めて問題提起しているのは、そのことだと考えられます。

構造的人種差別の定義

BLMが語られる文脈で、構造的人種差別(structural racism)あるいは体系的人種差別(systemic racism)という言葉も使われる機会が増えましたが、その説明を試みたと思われるNHKのアニメは、あまりにもステレオタイプ的な黒人描写で、批判にさらされる結果となりました。

難しいのは承知の上で、構造的人種差別という概念とは何なのかについて、そのごく一端ですが説明を試みます。構造的人種差別は、日本人にも大いに関わりのあるテーマでもありますし、多文化社会では重要な問題です。

多文化社会に生きる一員として、このような問題を考えるきっかけとなればと思います。

構造的、あるいは体系的人種差別(systemic racism)はほぼ同じ概念です。

いろいろな定義がありますが、以下のようなものがよく知られています。

マクロレベルの体系(システム)、社会的な力、組織、イデオロギー、過程(プロセス)などが相互に作用し、人種や民族グループ間の不平等を生み出し、強化をもたらすこと。 

(Powell JA. Structural Racism: Building upon the Insights of John Calmore. North Carolina Law Review. 2008;86:791–816. 参照)

 

これに加え、特に米国では

「有色人種」が抑圧され、白人が優遇される状態が正常であり、正当であるとみなす状態。

を示すことも多いです。

そして様々な統計を見て、例えば人種による収入、あるいは学歴、職業や雇用の格差で白人が、人口に占める割合を上回って優位を占める割合が高いと、「構造的人種差別」が存在することを示す証拠である、と説明されることがよくあります。

ただここで常に問題になるのは、このような説明ではあまり納得しない人が多いということです。

ブラウン大学のパトリシア・ローズ(Patricia Rose)教授によると、米国の人種間の平等が達成されたと思っている白人の割合は61%に上る一方、黒人でこのように思う人の割合は17%あまりに過ぎず、「いまだかつて達成されたことはない」「自分の存命中には達成されない」と思う割合が半数を占めるというデータがあるそうです。

このことからわかるのは、黒人と白人では、現状認識の差が激しいということです。

また、こういった概念があるのは大事ですが、では結局、このような問題に普通の人はどうアプローチしたらいいのか、はよくわからないままになりがちです。

もちろん、これは正解が一つであるような、単純な問題ではありません。

それでも、このような問題を扱うならば、抽象的な議論だけではなく、もう少し具体的な何かを示唆することも求められると思われます。

構造的人種差別の例①

たまたま北米数か所で、ある程度まとまった期間を過ごしてきた自分が、このタイミングでBLMの盛り上がりを見ていて思ったのは、おそらく、この問題は米国人でもほとんど具体的な事例や解決法は思いもつかないのではないかということです。

なぜかというと、ほとんどの人は自分の思考の前提となる枠組みから離れてみることはしないから。

私は主にインターネットで色々なことを調べるのがほとんど趣味という人です。

翻訳の仕事では、裏をとるための調べ物に多くの時間を費やしていますが、たまたま何かを調べていて、米国にも「割とまとも」な家計のアドバイスをしている白人男性の番組があることをようやく最近、知りました。

これまでアメリカで、ただ普通にインターネットを検索していても、まともな家計アドバイスはほぼない、というのが私の印象でした。

なぜかというと、日本によくある家計診断のような記事を以前、探したことがあったのですが、なかなか見つからなかったからです。

日本の家計診断では、アドバイスをする人は家計をどうやりくりしたらローンの支払いに回せるか、あるいはどうやって貯蓄を増やすかを示すのが普通だと思います。でも、その手のものは普通に生活していても、検索してもあまり見なかったのです。

そのようなアドバイスではなく、家を担保にお金を借りることを奨励するような記事が結構ヒットしたりします。

これは、米国では基本的に不動産の価値が上昇していくからかもしれません。

当時、それほど真剣に探していたわけではありませんが、日本語のそのような記事は見慣れていたのに、こちらにはあまりないな、という印象を持っていました。

でもこの番組では、それとは逆を行く(つまり、借金は減らせという)ようなアドバイスをちゃんとしていました。

この番組はリスナーが、電話をかけてきて自分たちの金銭的問題や状況を説明し、どうしたら一番良いのかアドバイスを求め、ホストがそれにバシッと答える、という形で進行します。

日本の家計診断とはちがい、少し貯蓄ができたら、投資をする、というのがこの人のアドバイスらしいんですけどね。

私でもたまたま見つけられたのですから、それはつまり今の時代なら、だれでも探せば、こんなアドバイスに出会うこともできるということではあります。

けれど、これは昔からある程度人気のあった番組のようで(そりゃそうでしょう)、長寿番組のようです。

アドバイスを求めた若いリスナーの一人が、「小さいころから母親と一緒に聞いていた」と言ってましたから。

ここからは私の解釈ですが、これはおそらく、どこにもそう書いてはありませんが、白人を対象とした番組なのです。たまたまかもしれませんが、アドバイスを求めるリスナーはほとんど白人です。これは発音を聞いていればわかります。

つまりおそらく、彼のアドバイスを頼るような経済レベルにいるのは、以前から、そしていまも圧倒的に白人が多いということです。

その主な理由は、富の蓄積の歴史が、黒人は圧倒的に短いからです。当然ですが。

現在でもアドバイスを求める黒人も多くはないのでしょう。

 

この状態が、つまりは構造的人種差別の結果なのです。

この番組から構造的に、黒人は排除される状況が生じているのです。

この番組のホストも、リスナーも、おそらく差別主義者ではない。けれども、仮に上の私の解釈が正しいとして、全員がこの状況にあまり違和感を覚えないのであれば、それは問題かもしれない。

でも、この番組を聞きながらそんなことを考える人は、ほぼ皆無でしょう。

だから構造的人種差別は、ちょっとやそっとでは解決しない。

どこから手を付けるべきかもわかりにくい。

でもだからこそ少しずつでも、互いの立場を超えて、問題を認識する人を増やすような取り組みは必要だといえます。

構造的人種差別の例②

もう少し分かりやすいかもしれない例も挙げてみます。

今年2月にジョージア州で、ジョギング中の黒人男性、アーマード・アーベリー(Ahmaud Arbery)さんが、元警官とその息子などの白人3人に車で追い詰められて射殺されるという、痛ましい事件がありました。

アーベリーさんは銃を所持していたわけではなく、ただジョギングしていただけです。

白人親子は、もちろん警察の取り調べを受けましたが、射殺の理由として、当時、自宅付近で不法侵入が多発していたため、その犯人だと思ったという主張をし、その直後の取り調べは継続されませんでした。

動画が拡散して問題となり、白人親子が逮捕されたのはそれから2か月以上経ってからです。

どんな状況でも、普通は殺人が発生し、明らかにその行為に及んだ人物がいれば、少なくともそのまま拘束されるのが法治国家だといえると思いますが、この事件ではしばらくの間は、そうならなかったという点が、衝撃的です。

米Time誌20年6月1日号に、この事件について書かれた記事がありましたが、その中に

「黒人が道を走っているからといって、武器を手にして追いかけようとは決してしない米国人は存在するが、そのような米国人も、このような(武器を手にするような)ことをする人に対して理解を示し、同情する」

(David French, “The double injustice of unreasonable fear”)

という内容の一文がありました。

そしてご存知の通り、米国ではこれまで長い期間、警官が黒人を誤って射殺し、裁判になったとしても、白人警官が「身の危険を感じた」と主張すれば無罪となってきたのです。

このような出来事に関係する全員が人種差別主義者ではないかもしれない。

それでも、黒人が抑圧され、射殺される「構造」が維持されている。

このような構造的人種差別がなくならないので、BLMが生まれたといえます。

これが今回、フロイドさんの死でさらに注目を集めたため、これまで一般的だった認識が少し、変化する兆しが見えています。

 

だから、フロイドさんに犯罪歴があるとか、偽札を使ったのではないかとか、そういったことを指摘するのはBLMの議論の本質とはあまり関係のないことなのです。

 

以前書きましたが、スタンフォード大学への出願エッセーの一つに #BlackLivesMatter と100回書いて、見事合格した高校生、ジアド・アーメド(Ziad Ahmed)さんが話題になったのは昨年のことでした。

 

米国では歴史的に、奴隷制度が撤廃されても、隔離政策(Jim Crow)が廃止され、学校教育の平等が法律的には保障されても、21世紀に入っても、抑圧された側に置かれていた人々で平等を実感できる人は多くなかった。

このような抑圧者側の認識が、今回の運動の高まりをきっかけに少しずつ、広まっているようにもみられます。

確かに米社会には問題も多いですが、この時の高校生のような若者に期待するとともに、変化を続ける社会の一員として、一人一人ができることを考え、実行していくことは重要だと改めて感じます。

 

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